霊が見えない万紀子の除霊日記@函館

霊は見えませんがご依頼が来れば除霊しています。基本は心理カウンセラーです。パーソナルトレーナーもしてます。夫はキリスト教の牧師です。

見えないものへの影響力についての雑感

昔から、神事(神に関するまつりごと、儀式)には、性的なことを遠ざけるものと用いるものに分かれるものがあるように感じます。例えば、遠ざけるものであれば、処女でなくてはいけない、身を清めて女を一定期間遠ざけなければならない、など。用いるものとしては、神事に関わる人がその儀式の中で性交したり、性器を祭ったりするなどですね。私が育った宗教は遠ざける方なので、用いる方はあまり詳しくありませんが、昔の日本が性におおらかであったというのはよく言われるところで、それは神事にも関わりのあることでしたね。

遠ざける、あるいは用いるというのは、境界線の概念から考えるとよくわかります。境界線とは、決定権の範囲だとかいろいろ言葉で説明していますが、心あるいは魂の皮膚のようなものとイメージしていただければ、掴みやすいように思います。

性は、境界線への影響が大きい分野です。

遠ざけるスタイルは、今まで私が時々記事にしていますが、自分の境界線をきっちり引くことで、見えないものからの影響を断ち、自分の境界の純度を高めることで相容れない性質のものをはじき飛ばすというものです。

用いるスタイルは、あえて境界線を壊すことで、見えない存在からの干渉や影響を強く受けようとすると考えると、しっくりきます。性に限らず、幼い頃から境界線を侵害されすぎて、普通の人には見えないものが見えるようになってしまった方もいらっしゃいます。カウンセリングで境界線を整えることで見えなくなったという事例もあります。性におおらかであったのは、壊す側の感覚で、壊される傷ついた人にとってはつらい文化であったろうな(今もかもしれない)と思います。

用いるスタイルは、呼び込む、寄せる、影響を受けるという側面が強く、除霊のような影響を取り除くのに向かない方法だなと感じています。

 

私は夫以外の男性を知りませんし、なんとなく感覚的にですが、不倫をしたらこの力がなくなるだろうなと感じています。一時的になのか永遠に失われるのかはやってみないとわかりませんが。まだ見えない存在についての研究が終わっていないので、変なことをして力をなくしたら嫌だなと思って不倫をしないことにしています(←。

とりあえず手を握られたりお尻をさわられたりといったセクハラ/痴漢行為では失われていません。格闘技とか護身術を本気で検討中。

 

あと、見えない世界では、これもなんとなくですが、ルールが厳格な気がしています。契約の影響力が大きいというか。不倫て契約違反なので、一気に影響力がなくなるだろうな、と。まぁそれでも、性犯罪被害に遭った方の傷も治療してきた経験から、境界線の傷を縫い合わせることは可能で、すでにできている感じがしていますけれど。境界線の傷を治療できるかどうかと、契約を重んじる心持ちはまた別のものですからね。契約を重んじる姿勢があるから、境界線を扱えるのかもしれないという気もします。

性的なこともそうですが、他の神を拝むとかそういうこともすごく影響するだろうなと感じます。なので私は、多分自分のことは普通のクリスチャンより厳格です。(禁欲的で律法主義であるのと厳格は意味を分けて使っています)こういう注意深さが「聖い」につながるし、除霊のような影響を除く能力につながっていると思います。

 

己を保つこと、基準や契約を重んじることは、必ずしも楽しみや喜びを否定するものではありません。でも、優先順位を常に確認することは大事です。

自分に甘いぐうたら系だと自分で思っていましたが、そうでもないんだな。

 

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