霊が見えない万紀子の除霊日記@函館

霊は見えませんがご依頼が来れば除霊しています。基本は心理カウンセラーです。パーソナルトレーナーもしてます。夫はキリスト教の牧師です。

死者を呼んではいけない

亡くなった方に近しかった方のグリーフケアに伺ったときのこと。

その方は、亡くなった方がそばにいると感じる、肩首が苦しいとおっしゃっていました。実は私も、その方が部屋に入っていらした瞬間、空気が重苦しくなるのを感じて「これはヤバイやつや」と思っていたところでした。

お話を伺うと、子どもの頃からよく見るんですよ、とおっしゃいます。最初に見たのは、小学生の頃、事故で亡くなった同級生だったそうです。自宅で納戸を開けたらそこに緑色の子がいて、あ、◯◯くんだ!と。それ以来何かと見たり感じたりするようになってしまったとのこと。

私は、なぜ見るようになってしまったか、原因があるはずだと思いました。

その頃、何か印象に残っている出来事はありますか?と伺うと

「父親が亡くなりました」

(ハイそれ。)

お父様が亡くなったとき、ちゃんと悲しみましたか?もしかして、行かないで、死なないで!と強く願ったりしませんでしたか?

「ああ、なにせ突然でしたし、すごく泣いたのは覚えています。そりゃ、死なないでと願ったでしょうね。よく覚えてないけど」

 

実は、死を受け入れず、戻ってきてほしい、行かないでほしいなどと強く願うと、霊的な存在と繋がってしまう破れができることがあります。もう生きてはいない父親と会いたいがために、心の扉を開けてしまったとでも表現すれば、イメージしやすいでしょうか。

 

キリスト教では、幽霊の存在は認めていません。ただし、死者と会話する力を持つ霊媒師の存在は認めています。ただし、忌み嫌うべきでそういう人と交流してはいけないと聖書に書いてあります。死者の霊が集められている場所があり、そこで亡くなった方々は眠っているとされています。霊媒師は、そこにアクセスして、死者を呼び起こして話すことができるのです。

私は、死んだ誰かがメッセージを伝えたくて、生きている家族を病気にしたというようなことは、ご本人がそう思っていることを否定はしませんが、事実ではないと考えています。亡くなった方を装って悪さをする霊がいると考えています。何が悲しくて自分の肉親を苦しめなきゃいけないのさ。亡くなった方が誰かを不幸にするという考え方はキライ。亡くなった方に汚名を着せてはいけないと思います。

 

少し考え方の背景を書きましたが、さてそういうわけで私は、お父様に会いたくて扉を開けてしまったところに、ちょいちょい無関係な霊が顔を出すようになったという状況と判断しました。

ならば扉を閉じれば良いのです。

「お父様とは、もう会えないということは、もう大人になっていらっしゃるから、受け入れていらっしゃいますよね。」

「そりゃもちろんです」

「では、お父様にはあちらで幸せであるようにと願って、子どもの頃戻ってきてと願ってしまったことをやめましょうか」

「はい」

その瞬間、その方にのしかかるように包んでいた重苦しい何かがシュッと消えました。

「あ!いなくなった!スゲ!ありがとうございます!」

亡くなった方とお父様は無関係でした。しかし、扉の開いたその方に、何かがちょっかいを出していたのですね。私個人的には、そのちょっかいを出していた何かは、亡くなったご本人ではないと思っています。見えるわけでもなし、確認のしようはありませんけど。

 

基本的にはこのように、霊を寄せてしまうことになったご本人の傷を扱うことで、霊が取りつく島を無くしてしまえば、霊障は無くなることがほとんどです。つまり霊障が起きる人には、霊がちょっかいを出せる破れがあるから、破れを閉じれば霊障は無くなるという考え方です。

 

子どもの頃からいろいろ見ることがあったけれど、無関係な別の問題でカウンセリングを受けるうちに、見なくなったというご報告もいただいております。境界線という心の壁を修復することで、自分以外の存在の干渉を受けなくなった結果です。

お困りでしたらご相談くださいませ。

 

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