明けましておめでとうございます&長女の霊の目を閉じた話
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
元旦礼拝があったものだから、今日はうっかり日曜日かと思ったら木曜じゃん?と勘違いしていてさっき金曜日だ!と気づいた万紀子ですこんばんは。曜日って難しい。
元旦から理論的な思考を働かせたくないな、と思ったので、今日は長女の話を。
長女は今は高校3年生なのですが、2、3歳の頃はあらぬ方を指差しては泣き喚くことがよくありました。ガネーシャなど少し変わった姿をした絵や像、おたふくのお面もダメで、狂ったように泣き喚き、カレー屋さんにも行けなければ正月は外出できないほどでした。ただ、誰もいない壁を指差して泣くときは、私も悪寒がしたので、何かを見てはいたんだろうと思います。
次女が生まれて歩けるくらいになっても、長女は何かを見ては怖がり、次女は何も気にならない様子でニコニコしているのを見て、長女が可哀想になりました。よく分からないものに怯えるストレスで、楽しいことを吸収したり学んだりできないのは良くない。そう思ったとき、「霊の目を閉じる祈り」というものがあったことを思い出しました。
人が見えないものが見えるこの子から、見えることを奪うのはどうかと少し迷いましたが、必要ならまた開くでしょうと開き直ることにして、長女を呼び寄せました。手で長女の目を覆い、祈りました。
「天のお父様。あなたの愛する長女の霊の目を閉じます。どうぞ彼女が幸せな日々を送れますように、見なくても良いものを見なくて済みますように。主イエス・キリストの御名によって霊の目を閉じます。主の血潮が長女を覆い、見えなくても見えないものが手を出せないようにお守りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」
祈りを終えて、手を離して長女が目を開けた時から今日まで、一度も彼女は何かが見えると恐れたことはありません。その時からピタリとこのことでは泣かなくなりました。他のことでは泣きまくりましたけどね。私がゾワッとして何か嫌な感じがする時も、長女は何も感じない様子です。うらやましい。
このように、幼い子が見えてしまって怖がるときには、霊の目を閉じるのが良いなと思います。長女が大きくなった今も変わりません。見えなくて良いものは見えなくて良いのです。